お菓子問屋 お菓子の格安販売 小売り、卸し

会社案内

社長挨拶

私は旅が好きで、内外を問わずよく出かけます。
旅をして思うことは、どんな辺鄙な処に行きましても、必ずお菓子屋さんがあるということです。それほどお菓子屋さんは地域の人の暮らしに関わっているのです。

もう30年近く前ですが、南ドイツの田舎町を歩いていて、ふと瀟洒なお菓子屋を見つけました。早速ケーキを買って口にしましたら、なんとおいしいことよ。旅の疲れも一度に吹き飛んでしまいました。
こんな小さな村にも、お菓子屋さんがあって、おいしいお菓子を作り近所の人たちを喜ばせているのだなと心を熱くした思い出があります。

私たちは小麦粉や砂糖等の原材料を混ぜ合わせた‘もの’を売っているのではありません。
まさしく夢、喜び、笑顔 そういった人を幸せにする‘こと’をお客様にお届けしたい。それが私たちの切なる願いです。

このように、私たちが扱うお菓子には、夢や喜びがいっぱい詰っています。
誰もしかめづらをしてお菓子を食べる人はいません。皆さんがお菓子を買われる時を想像して見てください。きっとご家族の笑顔を思い浮かべてこれにしようかあれにしようか、迷っておられるのではないですか。
お菓子には人の心をなごませる不思議なパワーを秘めているのです。

ご縁があってわが社のホームページにご訪問頂いたお客様の幸福を祈りながら・・・

株式会社高田屋本店
代表取締役 高田 志朗

高田屋本店と松屋町の歴史

私は松屋町で生まれ育ちました。
今や南行き一方通行になっていて、それでも広い道といった感じは致しませんが、昭和45年1月まではこの道も両面通行でした。
子供の頃は当然のことながら車の通行量も少なく、わき道でよくキャッチボールや子供のワンバンド野球をしたものでした。車道は車で渋滞ことはあまりなかったと思いますが、歩道はいつも大きな唐草文様の風呂敷包みを背負った買出しのおじさんやおばさんで溢れていました。

'まっちゃまちの・・・屋 人形と結納‘ のコマーシャルが巷に流れていたのは、もう二十年くらい前になるでしょうか?そのころにはすでに松屋町といえば人形屋さんというイメージが定着していました。
しかしその昔は、松屋町イコール’お菓子とおもちゃの問屋街’でした。お菓子とおもちゃの問屋さんが交互に並んでいたように覚えています。
今やおもちゃ屋さんは一、二店、菓子問屋さんも当時の1/5になってしまったでしょう。
その分人形屋さんが進出してこられました。松屋町の看板をとられても仕方ありません。時代の趨勢とはいえ、寂しいことです。

松屋町の裏手の通りには、戦災で焼け残った町家が何軒か残っていて、そのまま雑貨店やチョコレートショップ、ショットバー等として営業されています。
若者にとっては、町家の古い家並みが、かえって新鮮なインパクトをもつのでしょうか?